藤本聖名子|オカズになるAV女優の抜けるエロ画像!ベスト10
藤本聖名子(ふじもとみなこ)とは?
1990年2月15日に笠原出版社からリリースされた『人魚伝説 き・ら・め・き』で正式にAVデビューした元AV女優。
もともと芸能活動に少なからず関心があったようで、高校卒業と同時に上京すると、当時「ロッポニカ」ブランドで一般映画の新たなスタートを切ったにっかつ主催の「ほほえみマドンナコンテスト」で入賞しており、他の入賞者(加藤純子、森山ゆかり)とともにファンタジーコメディ映画『ひぃ・ふぅ・みぃ(1988年9月公開)』で女優デビューを果たしている。
※補足:「にっかつロマンポルノ」からの脱却を図るため、1988年7月から本格的な活動を開始したロッポニカであったが、興業不振により、僅か半年ほどで頓挫している。
つまり、彼女はAVデビューよりも前に、一般映画で女優デビューを果たしていることになる。
また、同年12月にリリースされたイメージビデオ『純愛(サクセス・ビデオ・コミュニティー)』でヌードを披露しており、この辺りからAVデビューは既定路線であったことがうかがえるが、作品の良し悪しは別として、華々しい女優デビューを果たしておきながら、AVデビューまでが意外と早かったようにも思えるが、今にして思えば、地方出身(福島県?)の田舎娘が都会のおじさん方に良いように説得され、AVデビューさせられてしまったような印象を受けなくもない(ちなみに、AV女優への転身理由ついて、後に新聞やテレビ番組でAVを足掛かりに女優を目指しているようなことを言っていたらしい)
※補足:1998年11月には自身初となるヌード写真集『フレッシュスコラ4』を発刊。その後も数冊のヌード写真集(『あぶない誘惑 SEXY CINDERELLA(1990年2月)』『女教師パンチラ淫ら指導(1992年3月)』『EGOIST(1993年3月)』など)を発売。また、1991年度の共同石油のカレンダーガールにも起用されている。
何にせよ、ほほえみマドンナの肩書きを持つ彼女のAVデビューは、ファンに少なからず衝撃を与えたが、1991年には、AV女優と並行してストリップデビューも果たしている。
※補足:1991年9月に記者会見を開き、ストリッパーとして舞台(浅草ロック座など)に立つことを発表している。
有名女優になるという目標(どうやら寅さんのマドンナ役をやれるような女優になりたかったらしい)に向かって精力的に活動した彼女は、一般映画やテレビドラマなどにも出演し続けるも、流行り廃りの激しい業界ということもあり、どうやら1992年にはAV女優としての活動はフェードアウトしてしまったもよう。
彼女の作品に関する情報が乏しいため、正確な引退作(撮り下ろし)を特定することはできなかったが、確認できた範囲(総集編などは除く)では、1992年9月21日にコロナ社からリリースされた『悪女(わる)』が一番新しいかと(つまりラスト作品?)。
※補足:1993年にリリースされた『ロック座の天使たち 熱くて妖しい女たち』はイメージビデオに属し、あくまでストリップ作品。また、1993年5月にリリースされたOV『冒険してもいい頃2』に、当時、活躍していたAV女優らと一緒に出演しているが絡みはなし。
ちなみに、AV女優はあくまで有名になるためのステップであり、本格的な女優を目指していたというだけあって、AV作品はNG行為の多かった(擬似本番が前提で、生フェラや顔射などもNGだったらしい)娘らしいが、礼儀正しくスタッフ受けはよかったとか…。
身長 :163cm
スリーサイズ:B88(?カップ)・W60・H86
活動期間 :1990年~1993年
別名義 :大原牧祐
藤本聖名子:オカズになるエロ画像!ベスト10
藤本聖名子:引退後の現在…
AV女優としての活動を辞めた時期はいまいちはっきりしないが、1992年には身を引いていたと思われる彼女は、その後、何をしているのか・・・!?
AV女優引退後は〝大原牧祐〟名義に改名し、女優として再び活動していたようだが、1997年3月14日にリリースされた大映のOV『幻魔殺法帖 新撰組秘抄』の出演を最後に表舞台からパッタリ姿を消してしまった。
同作品以降の足取りは掴めず、残念ながら今どこで何をしているのかまでは分からなかった。
太めのゲジゲジ眉毛が印象的な顔立ちに少々クセのある美人であったため、好き嫌いがはっきり分かれそうだが、高校時代に陸上で鍛えたとされる引き締まったスラリと伸びた長い脚の脚線美や美乳がそそる女優さんであったことは間違いないため、当時、彼女の抜群のスタイルに股間を熱くしたというおじさん方は、改めて作品を手に取り、青春時代の甘酸っぱい思い出に浸ってみるのも良いかもしれない。