冴島奈緒|オカズになるAV女優の抜けるエロ画像!ベスト10
冴島奈緒とは?
1987年3月1日にVIP(アトラス21)から発売された『FカップNO.1 奈緒の目覚め』でデビューした元AV女優。
AVデビュー前から芸能活動をしており、1985年にグラビアモデルとしてデビューすると、その後は男性向けのグラビア雑誌(アクションカメラなど)などで地道な活動を続けていたが、日本初の深夜のワイドショーとしてスタートした伝説のお色気長寿番組『11PM(イレブン・ピーエム)』内の名物コーナー(秘湯の旅)でレポーター(通称:うさぎちゃん)のひとりに起用されると、細身の華奢な体からは想像できない、たわわに実った巨乳をぶら下げる美女に股間を熱くした世の男どもから「あの娘は誰だ?」と、一躍、注目される存在になったという経緯がある。
そのような背景もあってか、彼女がAVデビューすると『11PM』に出演していた娘として話題になり、たちまち頭角を現し、トップクラスのAV女優に登り詰めてしまった(清楚な顔に似合わない、ぷっくりと膨らみ色付いたデカ乳輪がなんとも卑猥で、そのギャップがまたそそる!)。
ちなみに、アイドル並みの人気を誇った彼女は、当時、同じく人気のあったAV女優(斉藤唯、葉山みどり)と「RaCCo組」と呼ばれるアイドルグループを結成し歌手デビューも果たしているが、病気を理由にデビュー後まもなく彼女は脱退している(ちなみに「RaCCo組」はメンバーを入れ替えながら、しばらく活動を続けたが、商業的にみると成功したとは言えず、自然消滅…)
※ アイドル並みの美貌とグラマラスボディを兼ね備えていた彼女はAVデビュー後、約2年の間に5冊もの「写真集」を発売している(計8冊 / ロックバンド活動を始めたということもあってか、最後の写真集となった『TOKYO DOLL(2002年8月)』での変貌ぶりは興味深いところ)。
「RaCCo組」脱退後も、AV女優は引退することなく作品をリリースし続けるものの、1991年に渡米すると、その後はAV作品から少し距離を置いた活動(ヌードモデル、Vシネマなど)を続けることに。
※ ニューヨークでヌードモデルとして一人営業していた頃は、怖い目にあったこともあるとか…
なお、彼女がAV女優として本格的に復帰するのは、1996年のことになるが、既にデビュー当時ほどの人気はなくなっており、話題となった作品といえば、元祖・熟女系女優として人気を博した川奈まり子(活動期間:1999年~2004年)と2002年に共演した『女神再降臨』くらいかもしれない(ただ、注目されるほど話題になったかどうかは微妙…)。
がしかし、復帰後の彼女は幅広い分野(ロックバンド、ヨガのインストラクター、ビューティーカウンセラー、執筆活動 …など)で活動をしており、マルチな才能を見せていたことから、特にAV女優にこだわっているようには見えなかった(結局、AV女優は2002年に引退)。
以上、彼女がAV女優として活動していた期間の略歴をザッとまとめてみたが、復帰後はいまひとつ存在感が示せず、パッとしなかったものの、昭和末期から平成初期にかけて間違いなく活躍したトップAV女優のひとりであり、今なお根強い人気を誇っている。
身長 :158cm
スリーサイズ:B83(Fカップ)・W54・H83
活動期間 :1987年~1991年、1996年~2002年
愛称 :3000年型の淫売サイボーグ
冴島奈緒:オカズになるエロ画像!ベスト10
冴島奈緒:引退後の現在…
AV女優としての活動を休止していた休養期間中の行動については、先に触れたとおりだが、完全引退してしまった2002年以降の彼女は、いったいどこで何をしているのか・・・!?
公称プロフィールによると、現在はアラフィフ世代の熟女ということになるのだが、既にご存じのファンも多いように、彼女は2012年9月29日(44歳)に亡くなっている。
どうやら亡くなる5年ほど前(それ以前(2005年頃?)から体調異変があり、ガン専門病院に入院していたという情報も…)からガン(子宮頸がん)を患っていたようで、亡くなる前の数ヶ月間は歩行も困難なほど症状が悪化していたとか(本人の意向により、摘出手術は行われず、最終的には肺など体中に転移してしまったらしい)。
そういうわけで、当時、彼女にお世話になったファンにとっては、なんとも切なくなる話ではあるが、精力的にマルチな活動を続けていた彼女は、生前、ブログ(冴島奈緒ブログ:SILVER)やツイッターも開設しており、いまでも閉鎖されることなく当時の記事(バンド活動の様子や闘病中の話など)を振り返ることができるため、もし興味があれば覗いてみてほしい。